>>9 戦争末期には、特攻は沖縄だけでなくフィリピンや硫黄島など各地で敢行された。
見るものは、日本人なら、皆泣いただろう。
ところで木を見て森を見ずと言うか、物事の一面や部分を見て、あたかもそれが
全てであるかのように勘違いする慌て者が少なからずいるのは困りモノだ。
沖縄では、もちろん多くの日本兵が命を賭して米兵と戦った。
沖縄県民を守りたいと願い自らを顧みることなしに戦った人もいなくはなかっただろうが、
一方で沖縄県民を差別し虐げた兵士も少なからずいたことも事実だ。
また、はじめは沖縄防衛の使命に燃えて赴任した兵士が、いざ負け戦になると
自分の身を守るために沖縄住民を犠牲にした事例はいくらも有る。
いずれのケースが大勢を占めたかという検証も必要だが、そもそも沖縄戦の目的は(硫黄島もそうだが)、
島民の生命を守ることではなく、沖縄を捨石として米軍の本土上陸を少しでも遅らせ、本土決戦までの
時間稼ぎをすることだ。事前に住民を安全な場所に逃がすわけでもなく(硫黄島の住民は避難したが)、
市民を守れるだけの防御措置を執るわけでもなく、軍人と市民が入り乱れて戦争を戦うなどというのは
全くの無茶苦茶だ。当時の日本軍には市民を逃がすような物理的余裕はとても無かったというのは、言い訳
にならない。市民を守る意思も能力もない軍隊は、もはや国民の軍隊ではない。一県を民間人諸共盾にして
本土防衛のための戦争を遂行しようという軍部の発想は、狂気以外の何物でもない。
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